今からちょうど20年前の今日、9月11日。
職場に着いた途端、先輩が「ニュース観た?大変なことになってるぞ!」と言ってきたことをよく覚えている。
何事か分からない僕に、彼はポータブルテレビを見せてくれたのだけども、そこにはニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちてゆく様子が何回も何回も映し出されていた。
ふたつのタワービルにそれぞれ飛行機が突っ込み爆発。そして崩壊。
一機がアメリカン航空で、もう一機がユナイテッド航空。その二機ともがここボストンから飛び立った飛行機だった。
ボストンのローガン国際空港は即全面閉鎖。
街中が緊張感に包まれた。

あれから20年…. って、なんか綾小路きみまろサンみたいだけどw
いまだにあの出来事を信じられない気がする。
実はあのテロ事件の2か月前に家族がニューヨークに来て、一緒に貿易センタービルに上ったばかりだった。
そして、大好きだったあのビルの最上階からの光景を見るのも、それが最後になってしまった。
事件が起きた9月11日は昼過ぎで仕事が終わりだったので、すぐ家に帰ってニュースを見ようと思ったら、知り合いのピザ屋のオーナーから電話が来て「配達の注文が物凄い量で人手が足りない。悪いけど手伝いに来てくれないか!」と頼まれた。
まあ、家にいてもただオロオロするだけだし、それならとお店に行ってみたら、まあ誰もがみんな自宅や勤め先のテレビのニュースにかじりついているようで、外出、外食は無し。
よってピザ屋も注文の電話が鳴り止まない。
もうスタッフ一同フル活動。
その時点ではまだ様々な情報が錯綜していて、配達先のお客さんからも、
「すでに6機が落とされたそうだ」
「カリフォルニア州のどこかがやられたみたい」
「次はボストンが狙われるらしい」
といった話が飛び込んでくる。
何が本当なのか、まったく分からないままに街中を走っていると、そのうち妙なことに気が付いた。
あちこちで「道路工事」や「電気工事」をしている様子が見えるのだけど、よーく見ると、その作業員の(上着はともかく)はいているズボンが州立警察の制服のズボンなのだ。
そして、頻繁に周りの様子に目を配っている。
ここで初めて、街中の至る所に「覆面警察官」が配置されていることが分かった。
それはそうだろう。先ほど書いたように世界貿易センタービルに突っ込んだ飛行機は、両方とも早朝にここボストンから飛び立った便で、実行犯たちはこの街から爆破テロを始めたのだ。
厳重なうえにも厳重な警戒態勢にならない訳が無い。
少し落ち着いてくると、気になるのはニューヨークに住んでいる知り合いたちの安否。
しかしこれは幸いに皆無事だと分かり、ほっと一安心。
でも、中には事件当時に現場近くを歩いていたという人もいたから、「もしかしたら」ということも十分に考えられたんだなと思った。

「もしかしたら」といえば、僕にはあの事件の当時から今日まで、時々思い出しては「もしかしたら … 」と思う事がある。
あの当時、僕は転職を考えていた。
もともと人と関わる仕事が好きだったので、新しい仕事の第一候補に「フライトアテンダント」を考えていて、あの事件の前年にふたつの航空会社に就職希望の申し込みをしていた。
その二社というのが、アメリカン航空とユナイテッド航空。
まさにあの二機の会社。
ユナイテッドはボストン市内のホテルで試験を受けた。
結果、筆記は受かったものの、そのあとの二次試験で不合格。
そして残るアメリカンの方だけど、こちらはちょっと心強いコネクションがあった。
仲の良い知り合いにアメリカン航空のフライトアテンダントがいたのだ。
彼女から直接申込用紙をもらい、「推薦人」の欄には彼女自らが名前を記入してくれた。
これが強力に効いたのか、即電話連絡が来て、テキサス州の本社まで面接に来て欲しいと伝えられた。
「やったーーーーーーー!!」とガッツポーズの僕。
友達も「ここまで来たら可能性高いと思うよ」と言ってくれる。
ところが、である。
あれだけ希望して、友達の協力までもらったというのに、結局本社での面接には行かなかった。
僕が「どうしても行く気にならなくなった」ためだ。
以前にもこのブログで書いたことがあったけれども、僕は時々自分でもよく分からない事をしてしまう時がある。
目の前に現れたチャンスから、スッと身を引いてしまうのもそのひとつで、「何故か嫌になる」「何故か止めたくなる」のだ。
もちろん旅費は会社持ちだし、ダメもとで出かけて行ったって良かった。テキサスの地ビールでも飲んで帰って来よう! くらいの気持ちで出かければ。
でも、どうしても行く気になれない。
爆破テロが起こったのはその翌年。
こんな事を書くのは不謹慎で、亡くなった方々に失礼なのかもしれないけれども、あの時面接に行っていたらもしかして自分は、と考える事がある。
この出来事は、この12年後に起こった「ボストンマラソン爆破テロ事件」と並んで、今でも「あの時もしかしたら」という気持ちが消えない。
「絶対に安全な人生なんて無いのだ」という、当たり前なことを、実感を伴って考えさせられたのは、あの時が最初だったな、と思う。
あれから20年、か。
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