32年間の長い滞在にピリオドを打ち、思い切って永久帰国をしたのが2020年の11月1日で、その日は僕の誕生日。
ボストン最後の晩を過ごさせてもらった友人宅で目を覚ますと、外はその年初めての雪景色だった。
あと数時間で出発だというのに全くその実感が湧かない。
それまでの数週間で住まいを引き払ったのも、車を売ったのも、荷物を日本に送ったのも、多くの友人知人にお別れの挨拶をしたのも、なんだか本当の事の様には感じられない始末。
やがて時間になり車で空港に向かうと、今度はいつも通っていた高速道路から見る街の姿がどこか違って見える。
「これで見納めなんだな」と思うと、うんざりするほど見慣れた建物が妙に愛おしい。
さて、ボストンの空港に着くとそこからは、JAL直行便搭乗 → 成田着 → 空港ホテルに1泊 → レンタカーで新潟まで移動 → 駅前のホテルで12泊の経過観察 → 実家に到着 … という流れになり、全部で約2週間という長い移動が始まる。
その時の様子はこちらのYouTubeに数本に分けて載せてみたけど、まあこれが飲んでばかりの毎日で💧
さて、そんなこんなで30年ぶりの日本での生活が始まった。
ちなみに両親と住むのは40年ぶり。
始まってみればやることも多く、また久しぶりの日本の生活はそれなりに楽しいのだけど、しばらくして妙なことに気が付いた。
一向に夢の中に日本が出てこないのだ。
毎晩毎晩、見る夢はボストンの街ばかり。それがいつまで経っても変わらない。
ボストンの何処かで人と会っていたり、久しぶりに美術館に行ったり、ある時はボストンマラソンに参加していたり。
今日に至るまで、とにかく日本が夢に出て来た記憶がほとんど無い。
いくらあの街に長く居たとはいえ、ちょっとこれはおかしいんじゃないか?とか思った。
まあ思い当たる原因といえば、コロナ禍になってからの永久帰国だったために「最後にもう一回行きたくても行けなかった場所」がたくさんあって未練が残っているということと、帰国してからの毎日が両親以外の誰にも会わない、刺激のない毎日の繰り返しだということの二つ、なのだけど。
それにしても、だ。
で、ある日ふと気づいた。
もしかしたら、いま自分は自覚している以上に心が疲弊しているのだろうか、と。
こんなコロナのご時世だから誰もがみな苦しさや寂しさを我慢しているのだと、頭では理解していても気持ちはもううんざりしているのかもしれない。
外へ出かける用事といえば、カフェでパソコン作業をする時か、親の病院の付き添いくらいのものだし。
そんなことで、心のどこかがボストンという街の記憶に救いを求めているのかもしれないなと、最近になって考えるようになった。
昨日見た夢は、あのハーバード大学が大火事になるという酷いもので💧
皆がパニックになる中、僕は「大丈夫だよ。慌てなくても逃げ道あるじゃん」とか言いながらのんびり地ビール飲んでるの w
目が覚めると今自分が何処にいるのかが分からなくなるのもしょっちゅうで、「あ、実家の部屋か … 」と気付いたあとはしばらくボーっとしている。
自分をわりと順応性の高い人間だと思っていたのに、実はそうでもないのかなと考える様になってきたこの頃。
夢で見るボストンはまだ当分消えそうにない。
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