開いたドアからさらに数名の警官がドカドカと入ってゆく。
いよいよか … と、僕はひとりドキドキしながら廊下に立ちつくし、友人は「ちょっと怖い … 」といって二階へ避難し、そこからこちらをじっと見ている。
やがてさっきの警官が出て来てひとこと。
「あのね、誰もいないよ」
え?
おばーちゃん、死んでるんじゃないの?
じゃ、この臭いは何なの?
俺たちは勘違いで警察呼んじゃったの?
あのー、ゴメンなさい 💧
しばらく複数の人たちが出入りしていたが、この悪臭では通報をするのも無理からぬことと思われたようで、僕らへは特にお咎めも何もなかった。
そしてやがて全員が撤収していったが、あの「人騒がせな悪臭」の原因は最後まで分からなかった。
さて、その日の夕方にルームメイトが帰って来たので、さっそく事の顛末を話すと、「下のお婆ちゃんなら今朝会ったよ。子供さんが迎えに来て今日はお出かけなんだって。なんか嬉しそうにしてたよ。」という。
そ、そーなんすか 💧
とんだ騒ぎとなってしまったこの件はルームメイトたちに大受けし、のちに「お婆ちゃん死んじゃった通報事件」としてしばらくネタにされた (^^);
実は、このお話しには後日談があって。
確かその翌年の事だったと記憶しています。
いつものようにアパートの階段を降りてゆくと、例のお婆ちゃんの部屋のドアが開いており、あの時と同様に警官が数名バタバタと出入りしていた。
どうしたのですか?と尋ねると、ひとこと「You don’t wanna know. / 知らない方が良いよ」とだけ言われた。
その日お婆ちゃんは本当に亡くなっていた。
夕方、人の出入りが終わってひっそりとしたころに、近くのコンビニで花束をひとつ買ってそれをお婆ちゃんの玄関前に置き、手を合わせた。
不思議なことに、そうして拝んでいると突然全身が「炭酸飲料がスパークした」ような感覚に包まれた。シュワっとした衝撃のようなものが体の前面から後ろへと突き抜けていったのだ。
あれが何だったのかはいまだに分からない。
のちに「孤独死」という言葉をよく耳にするようになると、ときどきあのお婆ちゃんを思い出したりした。 あの高齢までひとり暮らしをしていた彼女はきっと寂しかったのではないかな、と。
ああして家族と一緒に外出することがあっても、だ。
そういえば、「親の介護や同居についてアメリカ人と話をするのはもう止めた」と言っていた人がいた。「親のお世話」よりも「自分の人生」に重きを置くアメリカの人たちとはいつまで話しても平行線だから、と。
同居と別居。
正しい答えなんて無いけれども、どちらの主張もよくわかる気がする。
考えてみたら、僕もあと何年か経つと「お世話になる側」なんだよな。
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