今日写真を整理していたら、数年前に撮った懐かしい一枚(正確には四枚)が出て来たので、ちょっとご紹介!
時は幕末。
鎖国中であった日本は神奈川の浦賀に着いた一隻の黒船。
その黒船に乗って日本へ開国を迫りにやって来た人物と言えば?
はい、答えは歴史の授業で習ったペリーですね。
フルネームは マシュー.ペリー といい、アメリカ海軍の代将であった人物です。
さて、それではそのペリーの出身地は何処でしょうか?
… と書くと、「こんなブログに書いてんだから答えはボストンでしょ?」と思いますよね。
ごめんなさい! 実は違いまして、ボストンのすぐ南のロードアイランド州という所です。
正確には、そのロードアイランド州にある「ニューポート / Newport」という海辺の街。
このニューポートは、19世紀に大富豪たちが建てた大邸宅(マンション)群が建ち並んでいたり、テニスの殿堂があったり、また毎年夏には有名なジャスフェスティバル(ニューポートジャズフェスティバル)が開催されたりと、観光目的で訪れる人の多いお洒落で素敵な街です。
ちなみにこの大邸宅群については以前の記事にも書きましたが(2021.07.29)、こんな感じの凄さ 👇
ペリーはここの出身で、街の一角にある公園には彼の銅像が建っています。
今日ひょっこり出てきたのはその銅像と、さらに台座の部分にはめられた「開国を迫るペリーと日本の役人たち」のレリーフの写真。
このレリーフがまた貴重といえば貴重なんだけど、ちょっと屈辱的な図柄になっていて、なんか気分は複雑なんだけどね w
それではいってみましょう。
トップ画にも載せたのがこの銅像の写真です。
ボストンにも数えきれないくらいの著名人の銅像が建っていますが、日本にも大きな影響を与えたこのペリーの像をこんなところで見つけた時にはちょっとビックリしました。
サイズはさほど大きくもないけど、その分近くで見れるから良いかな、と。
ちなみにこのペリーは軍人一家の出で、生まれは1794年。
日本では有名なアメリカ軍人のひとりですが、そのアメリカでは彼の兄のオリバー.ペリーの方が知名度が上です。
で、台座のレリーフはこちら 👇
これは日本の役人が書面にサインをしている図ですね。
そして「ちょっと屈辱的」と書いたのはこちらのレリーフ 👇
なんか「へりくだる日本の役人と偉そうにするペリー」というイメージが抜けないのは、僕の気にし過ぎでしょうか💧
まあ、実際の彼は2メートル近いという大柄な人物で、さらに人柄に関しても『ペリーの威張った態度、挨拶や合図の声が熊のように大声で聞こえるので「熊おやじ」(Old Bruin)と隠れてあだ名されていた』などと書かれているのを読んだせいで、余計にふてぶてしく感じてしまったのかもしれませんが。
しかしまあ、豪邸が建ち並び、ヨットなどのマリンスポーツが盛んでお洒落なあのリゾート地の一角にこんな日本とも関係の深い銅像を見つけたときは、ちょっと感動してしまったものでした。
170年も前の日本人が、巨大な黒船を見た時の驚きはどんなものであったのかとか、
そのペリーの黒船来港の一年前が「アメリカに住んだ初めての日本人」であるジョン万次郎が10年余りのアメリカ滞在の後に故郷へ帰りついた年であったこととか、
遠く離れた海外の地で、日本と日本人について思いをはせる時にはいつもちょっとおセンチになってしまうので、余計に銅像に感動してしまったのかなとも思いますが。
そうそう!最後にもう一枚。
これは2011年の東日本大震災の後に建てられたものです。
日米の友情の碑、ですね。
以上です。
最後に、僕のお気に入りの「開国を迫るペリーの貴重な音声記録」を載せときます。
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