あまり人には言わないことですが、実は僕には過去に2回ほど「もしかしたらあの日が自分の命日になっていたかもしれない」と今でも思っている日があります。
そのうちのひとつが、伝統あるボストンマラソンが一瞬にして大惨事へと化してしまった、あの2013年の4月に行われた第117回大会の日でした。
ちょうどあの頃、僕の親友がその翌年に永久帰国をすることが決まり、「それならば来年は最後のチャンスだから一緒にボストンマラソンを走ろう!」という話が持ち上がりました。
「それじゃあ今年はその準備という事で、心臓破りの丘とゴール地点の二か所を下見がてら応援に行こう!」と。
彼にとっては初めての、僕にとっては数年ぶりのフルマラソンで、早くも気持ちのテンションが上がってきて、この一年間の練習を誓いながらご機嫌で応援に出かけました。
街中に交通規制が敷かれ、一年でいちばん車の運転がしにくいボストンマラソンですが、なんとか心臓破りの丘までたどり着き、知人宅に車を停めさせてもらい、さっそく応援です。
僕はマラソン当日に応援に行くことは滅多にないのですが、やはりあの熱気と歓声のなかで皆と一緒になって声援を送るのには独特の感動がありますし、よくまあランナーたちはこんな長時間頑張るものだなあと感心させられます。
さて、ひとしきり声援を飛ばしたところで、いよいよゴール地点に行ってみることになり、車はそのまま置いて地下鉄でゴールの最寄りの駅へと向かいます。
その時の車窓から見たランナーたちの様子が、こちら 👇
レース当日はゴール地点の最寄り駅は閉鎖されているので、そのひと駅手前で下車をします。
そこは Hynes(ハインズ)という駅なのですが、電車から降りると普段見慣れない光景を目にしました。
通常は閉鎖されたままになっている「第二出入り口」が開いていて、乗客がそこからもどんどん地上へと出て行っているのです。
なるほど! マラソン大会で大混雑するからこちらの出入り口も開けてある訳か、と納得し、せっかくだからその出口から地上に出てみる事にしました。
30年を超えるボストン生活で、あの出口が開いているのを見たのは確か2回だけだったと記憶していますが、いま思えばあの時、あの出口から表に出たことが、もしかしたら僕らの命を救った事になったのかもしれません。
後から気付いたのですが、その第二出入り口から地上に出たために、本来友人を連れて行ってあげたかった「ゴールに一番近い最高の応援ポイント」に辿り着くことが出来なかったのです。
そしてその場所こそが、第一発目の爆弾が爆破したその場所でした。
【続く】
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