レースも後半になると、ランナーたちはいよいよ自分との闘いの佳境へと入ってゆきます。
自分が頼れるのは自分、そして敵もまた自分自身。
そのストイックな姿はどことなく修行僧を彷彿とさせます。
一方で、僕たちのような「なんちゃってランナー」はペースがガックリ落ちたり、あるは歩く時間が増えたり、はたまた途中で止まってストレッチをしてたりと、わりと脱落者の雰囲気が色濃くなってまいります。
ある年のマラソンでは、一緒に参加した友達がレース終盤の地点で道の傍に座り込んでいて。
どうした?と思ったら、「いや~、今年はもう駄目だ!ここでリタイヤだわ 💧」という。
「マジで? もう無理??」と聞くと、「うん、無理。 それにこの先から心臓破りの丘だしさ…。」と。
そう!
そのすぐ先にはボストンマラソン名物の「心臓破りの丘」と呼ばれる長い上り坂が待っているのです。
ここまでですでに30キロを走っているランナーたちには、このだらだら続く坂は実にキツいシロモノですが、僕なんかの場合は「心臓」よりも先に「膝」が悲鳴を上げてしまい、実にツラい … 。
この心臓破りの丘は「ニュートン / Newton」という、リンゴが落ちてそうな名前の街にありまして、ここさえ終わればあとはブルックライン ⇒ ボストンと、ゴールはもうすぐ!
でもね~、でもこの坂がなかなか終わってくれないのよ💧
もうペースは落ちてヨレヨレのランナーになっている僕は、「こんなところを、車椅子の選手たちはどうやって上がってゆくのだろう … 」と、脚でも辛いのに腕で上り坂を乗り越えてゆく人たちが怪物のように思えたものでした。
ようやく心臓破りの丘の頂上に着くと、ここからしばらくは下り坂が続きます。
そういえば、ある僕の友達はちょうどこの丘の頂上に住まいがあるモンだから、なんとかフラフラで坂を上り切ったところで「自宅にゴールイン」し、そのままシャワー浴びてビールで乾杯したそうです。
まだ何キロも残ってんのにw
さあ、あとはブルックラインの街を抜け、レッドソックスのフェンウェイ球場を通過したらその先がボストン市街地。
ゴールはもうすぐです。
この時点でスタートから4時間も5時間も経っているというのに、沿道の応援の熱は一向に収まる様子もなく、道の両脇には声をからして声援を飛ばす人の群れがずーっと続いています。
「行けー!行けー!」
「大丈夫だぞ!出来るぞー!」
「もう少し!あと少しだぞー!」
この声援が無かったら絶対に走り切ることは出来ないなと、毎年毎年思います。
しかし、もうここまで来ると足のダメージが強すぎてまともに走れず、なんとか競歩のような早歩きで進んでゆくのが精一杯。
頭の中では「今年ももうすぐだ。もうすぐ終わる」と、こればかりを考えている。
あ、あと、「終わったら今年は○○で打ち上げだ。最初はやっぱ生ビールだな …」とかね、そーゆーことも考えてますけどね。
いよいよ最後の最後の曲がり角が目前に見えて来た。
ここを左に曲がれば、あとは500mほどの直線で、その先にゴールが待っている!!
初めて走った1989年。
この時はこのゴール近くで思わず泣きそうになったものでした。
ありがとう!みんなありがとう!!と、ただただ感謝の気持ちを呟きながら、ここまで走って来れた嬉しさで胸がいっぱいになって。
ところが、さあ!曲がり角を曲がったら全力で最後の猛ダッシュだ!!
…. と、思ったら、
なんと目の前で日本人男性のランナーが思いっきり派手に転倒してしまい、倒れたままうめき声をあげている。
ヤバい!転倒骨折したか?
驚いた僕はとりあえずダッシュを止めて、駆け寄って「大丈夫ですか!?」と声をかけた。
近くにいた警備員も集まってきて。
すると男性は僕に向かって苦しそうに、
「す、すみません…、あ、足がつった、って英語で、な、何て言うんですか …?」
え~ 、知らねーし 💧
怪我じゃないんなら大丈夫。
「ごめん!先に行くね」と謝って、再びダッシュを切った。
【続く】
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